手ぬぐい業界という世界がある。
小さくニッチながら、そこにはやはり工場や商社、企画会社といった業界構造があるのだ。
業界全体では、メインはやはり和雑貨の分野。しかしどの会社も何か新しいマーケットが開拓できないかと日々悩んでいる。
このマーケット開拓はやはり商社や企画会社の仕事。
何年も前から、「ファクトリーブランド」という工場が自らやっているブランドも多々存在する。いい取組とは思うが、やはり新しいアイテムを企画したり、新しいマーケットを開拓するのは商社や企画会社の仕事だと、私は思う。
作る専門と売る専門と企画する専門でそれぞれの強みを活かしてタッグを組めることが理想的なのだ。
1人ができることは、やはり限られている。
各社、各ブランド、手ぬぐいの利点を発信する際に常套句となっているのが、
「ちょっとした時にあるとうれしい」
「いざという時にあると安心」
「生活のアクセントに」
というような文言だ。
どうだろうか。
何だろうこの、あってもなくてもいいけどあったほうがいいっちゃいいよね
みたいな感じ。
もっと胸を張ろう。
手ぬぐいはセンターを張れないのか?
手ぬぐいは、正直なくても何とかなる。何だこのブランドやってる側とは思えない問題発言。
CHAORASが支持されている登山やトレラン、ハイキングのシーンでは、やはりメインとなりうるのはテントやザック、ウェア、シューズといったシーンに必須なアイテムだろう。
しかし考えてみればどセンターを張る必要はないのだ。
ウェアもザックもULテントもシューズも、様々なアイテムがあってシーンが成り立っている。
全員が前田敦子だとAKBは成り立たない。
ケンシロウとラオウとトキだけでは北斗の拳は成り立たない。
時代が止まっていて申し訳ない。
ULテントだけ何種類も持って山には行くことはない。
何を言っているかわからなくなってきた。
どうもこの時点である程度結論が出てしまった。
どセンターは張れないが、張る必要もないみたい。
要は、シーンに欠けてはならないメンバーとなればいいのだ。
あれ、見ないと思ったらひっそり卒業してたの?
見ないと思ったら、問題起こして研究生になってたの??
というのではやっぱり寂しい。
この子がいるからこそグループが成り立っているよね。やっぱりこの子が必要!
という確固たる存在感、名脇役を目指すのだ。
目指すべきはトレラン・ハイク・登山での名脇役ポジション
ルパンで言う、銭形警部。
シティーハンターで言う、海坊主。
北斗の拳で言う、レイ。
あれ、シュウ? 意外とフドウあたり?
俺を忘れるとはどういうことだ?
まあいいや、誰にしても時代がやっぱり止まっている。
AKBでは、、
言わないでおこう。炎上しそう。
話がそれた。本題の、シーンに必須となりうる意味、理由を考察する。
商品企画、ブランディングを進める上で、言われて久しい基本的な考え方がある。
情緒的価値と機能的価値だ。
実用面の機能的な部分を満たすことはもちろんだが、機能以外の部分が実はブランディングには重要なのだと言うことである。
例えばブランド背景にあるストーリーだったり、個性やこだわりであったり、そのアイテム、ブランドを持つことで満たされるユーザーの心の部分に寄り添い満たすこと。
要はファンづくりだ。ここがブランドイメージを作るのには重要だ。
Rokko Beavers Nestさんでの染め物ワークショップイベントの様子。
しかし上記の2点は、マーケット参入の黎明期には非常に苦労した。
特にスポーツ手ぬぐいは過去になかったものだ。
手ぬぐい自体は昔からあったが、和雑貨や生活用品の域を出なかった。
ないマーケットをイチから作るのは、ひたすら「いいよこれいいよ。みんな使って使ったらわかるんだから お願いだから使ってよぉ。アウトドアでね。」みたいなメッセージを機能と情緒両面からひたすら連呼するしかなかった。
マーケットに根付くには、とても時間がかかるのである。
私はここに、新しい価値観をプラスしたい。
そしてこの価値観こそが、トレラン、登山、ハイキングを中心としたアウトドアシーンでCHAORASがなくてはならないものになる第三のピースだと思っている。
そう、名付けて
八百万の神的価値
さあ、一気に何言ってるのか怪しくなってきたぞ。
説明しよう。
日本には八百万の神がいる。
では、この神様たちは最初からそこに神様として存在していたのであろうか?
もしかしたらそういう神様もいるかも知れない。
でも私はこう思うのだ。
想像していただきたい。
元は道端の石のような存在であった。でも何か特徴的で個性的な石だったのだ。その個性が人々の目に留まり、次第に人々が話題にし始める。
そのうちに、いつしか多くの人々がその石に供え物をし始め、崇拝を受けるようになる。
こうして、元はただの道端の石が、人々の想いや崇拝が乗って神になる。
多くの人たちの想いや念、はたまた、単純に好きという気持ちの集合体で神様のようになった存在がいくつもあるんじゃないかと思う。
この御方みたいな。
ブランドもそういうものかもしれない。
機能的価値と情緒的価値は、最初はこちらから自身の存在を発信するしかない。
でも八百万の神的価値は、ファンになってくれた皆さんが作ってくれるものなのだ。
今ちょうど、というかようやくCHAORASはその最中にあるかなあと思う。
CHAORAS如来まではまだ遠いけど、CHAORAS地蔵くらいにはなれたかなと。
一時の流行りなどではなく、何年もかけてようやく少しづつここまで来た。
ブームなどではなく、ファンの皆さんが少しずつ作ってくれているシーンだ。
こうして根付いたものは、絶対に強い。
あれ、なんでこんな密教的な話になったんだろ。
何が言いたかったかまとめよう。
アウトドアで、こちらがこんな機能があるよこんな使い方ができるよーと連呼する段階はとうに過ぎていて、
登山でザックにくくったり
トレランで汗が拭ける位置にくくったり
ハイキングで首元に結んだり
バイクパッキング、ツーリングで巻いたり
など、ファンの人たちが各々のスタイルで自由に使ってくれていて、イラストのようなスタイルが自然に確立されつつある。
スタイルが確立されれば、自然となくてはならないメンバーになるということだ。
なくてはならないポジションは、いま皆さんが作ってくれている。
というわけで、あんなスタイルこんなスタイル、あとこんな巻き方使い方
皆さんで作っていきましょう。
ということが今日は言いたかったんだ。たぶん。
ん?読み返してみたら、八百万の神的価値って1周回ってそれが情緒的価値ってもんなんじゃね?
以上モリノがお送りしました。
ここまで読んでくれたアナタに。